私は、もう36歳です。
つまり、36年も生きてるってことで、
36年、私やってるんだよね。(当たり前だけど)
昔は、まだ親の影響も受けて、
兄弟はどこか似たところもあったり、
同じ学校の友達は、似たところがあったりもしたものだけど、
人間、ひとつの人格を、長年やってくると、
どんどん固くなる部分は、固くなる。凝り固まる。
そして、好きなものは好き、
嫌いなものは、嫌い、
排除するものは、絶対排除。
そうやって、なんていうか、合理化していくんだと思う。生活を。
昔言われたことだけど、
「30超えたら、男も女も、自分の生活パターンと結婚してるもんよ」と。
おお!!と思ったね。
そう、お互いに、もうライフパターンが固定化して、凝固して、
それに従うようになっていて。
いまさら、他の人生のパターンに合わせて生きていくのが難しい!って思う。
そうね、20代の頃は、何事も、まだ不確定で、
ふわふわとゆるく不定形で、
だからこそ、好きになった誰かの生活パターンに合わせて、
なんとでも変えていけるって思ってた。
でも、この歳になると、
いろいろ譲れないものもできてきたり、
意固地になる部分もあったりで、
「あぁ、ここはどうしても合わないなぁ」って思う差異が
出てくると思うのです。
でもそれって、だれとでもそう思う。
昔みたいに、だれかれともなく、
会ったその日に意気投合して、
わいわい仲良くなれるほど、若くはない。
くだらないこだわりだとか、
大事にしてるものに対するプライドだとか。
いままで努力してきてしまったものだとか。
居心地の良い生活のリズムだとか。
そんなものが、初めて会った人と、
全部いきなり一致するわけはなくて。
むしろ、差異のほうが圧倒的大部分だと思うのね。
でも、人間てすごい!!!と私思うんだけど、
相手のことを思いやって、想像して、
お互いにすり合わせるってことはできるよね。
最初は、お互いちぐはぐな部分も、
ぶつかるたびに、「よし、こんどはこっちによけよう!」って思って、
かじ取りして、うまい方向に導いていく。
だから、付き合って最初の頃のいろんな利害の衝突だとか、
生活の差によるストレスだとかは、
その先お互いをよく知っていくための、大事なプロセスだと思う。
だって、30年以上も、
まったく別々に暮らしてきた人間同士が、
(しかも男女の差も年代の差もあって)
いきなりいっしょになんでもうまく行くはずない。
でも、そういうお互いの違いは、
決して、うまく行かないってことじゃなく。
どんどん溝を埋めていけることだと思ってる。
相手を深く理解しようと思えば、
いろんな発見もあるし、
いろんな調整も必要。
歳を取るほど、お互いに、別の人格として確立してるものがあり、
なかなか歩み寄りづらいところもあるけど。
それを乗り越えるだけのパワーが、
私は愛の力!だと思う。
あと、知性の力。
思いやりは、想像力から生まれます。
想像力は、知性です。
この人はこういう人なのではないか。
これが大事な人なんではないか。
こういうときは、こう思うのではないか。
これとこれならこれが好きなのではないか。
すべて、推測な訳です。
その推測を、いかに正確に、無駄なくしていけるかは、
観察力だったり、相手の身になって考えるくせだったり、すると思う。
何でもかんでも自分の目線で考えていると、
見えるべきものも見えない。
一生懸命頭と心を総動員して、
相手の状況や、気持ちを想像しようと努力すること、
それが、分かり合うためには大事なことだと思うのです。
もちろん、そう簡単にはできないし。
「そもそも相容れない」って思っちゃう部分もあるかも。
「私と彼は合ってない?!」って不安になることさえあるかもしれない。
でも、
人は人と違って当たり前。
すべての人が自分と同じように感じるわけでもないし、
自分と同じものをいいと思うわけでもない。
だから、
違うから、と切り落とすのではなく、
可能性を想像して、それを自分の中に貯めていく。
そうすることで、相手に対するポケットが増えていく気がする。
そうやって、赤の他人を理解していく過程こそが、
恋愛、なんですよね。
だからね、
自分の思い通りに彼が行動してくれなくても、
短気は起こしちゃダメなんだよね、と思う。
たとえば、
ここでこういうメールをくれればいいのに、とか。
プレゼントは、こういうものをくれればいいのに、とか。
ぶっちゃけ、もっとロマンチックな彼氏であったらいいのに!
素敵な愛の言葉をくれたらいいのに!
もっと会いに来てくれたらいいのに!
四六時中好きって言って!
どうして、それができないの。
なんで簡単なことができないの。
私のこと愛してるなら、できるんじゃないの。
そんな感じに、
小さなことから大きなことまで、
相手に期待することは、たくさんあるし、
期待に沿わないこともたくさんある。
ついつい、期待しないようにしようって思っても、
昔の人と比べて、とか、
自分だったら、とか、
いろんなあの手この手で期待して、
それを裏切られて腹を立てて。(;´Д`)
でも、しょうがないんだよね。
思い通りに振舞ってくれる男なんて、
完全に理想どおりの男なんて、
いないんだもん。
どこかは足りないかもしれないし、
どこかには違和感があるのが普通。
だって、自分そのものじゃないんだもん。
でも、それを超えて有り余る、
今まで想像もしなかった、
新しい世界も、そこからひろがってる。
同化することに心を砕くより、
狭くなってしまった、かたくなってしまった自分の世界を、
彼という入り口を使って、
もいっぺん広げられたら、
それってすごいことだと思う。
そういう化学反応が、
恋愛がくれる一番の贈り物なんだと思うのです。
男よりは、女の人のほうが、
相手に対する想像力や思いやりに優れている、とよく言いますね。
人間関係に関する能力は、
圧倒的に女性が上回っています。
言語を超えた、すぐれた知覚と、
母親のような愛情の力で、
相手を正しく理解し、そこに自分を寄せていくことができるんです。
ホラ、男性の集団の中に、女子を1人放りこんでも、
女子は、なんとか男性の会話に自分を合わせていけるでしょ。
男性社会で生きる女性は、
パチンコやマージャンを習ってでも、
彼らと話をあわせたりできる。
違和感もないでしょ。
でも、女子の会話のなかに、男性を1人放り込むと、
男性は違和感で貝になる。
女性の社会に、自分を合わせることが、できなくはないけど、
相当なストレスを強いる。
ダンナさんの友達関係の飲み会に奥さんを同伴することはできても、
奥さんの友達関係の飲み会に、だんなさんを同伴できないのも、
同じ理由です。
女性は、社会に適合する、
相手に合わせて自分を変化させる力に富んでる。
その、理由は、
女性の、相手に対する深い理解力と思いやり、想像力、
だと私は思う。
だから、彼氏がこっちに合わせてくれなくても、
こっちが彼に合わせて、すり合わせられるなら、
そのほうが簡単なんだよね。
私は少なくとも、
彼のためになら、
自分の生活スタイルの何かを犠牲にできると思う。
辛くないわけではないけど、
そうやって、歩み寄ることでしか、
付き合っていくことは出来ないのだと思うから。
お互いの生活を主張すると、
どうしても恋愛は破綻しますよね。
だから、
いつも思ってればいいと思う。
自分の思い通りの人間なんていない。
恋をしたら、
つづける努力をするか、そこでやめて引き返すか、
二つに一つしか道はない。
好きな人のために、自分の生活を変えることがイヤならば、
彼が思い通りに行動してくれないことが辛すぎるなら、
やめるしか、ない。
私は、人間の思いやりの力を信じたいと思います。
いまは違和感があっても、
いつか、二人の間に違和感は減って、
まるで生まれたときからいっしょにいたような、
そんな二人になれたらいい。
そのための努力を、
いまは積み重ねているんだと。
その長い道のりの、
最初の部分を歩いてるんだと、
そう、思うんです。
思い通りの人なんていない
JUGEMテーマ:恋愛/結婚