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好きにさせてる?

JUGEMテーマ:恋愛/結婚

私はね、
自分が好きになることと、
相手を好きにさせること。
そのどっちが大事か?
で、その人が、恋愛の勝者か敗者か分かると思う。
もちろん、勝者は、後者です。
自分が好きだってことに目がくらんで、
相手の気持ちを見ないようにすることは、
ある意味、ストーカーの心理です。
たとえば自分がされたときのことを考えればいい。
何度デートを断っても、二人きりはちょっと・・とご辞退しても、
ぶっちゃけ、あなたには興味ないんですって態度を一生懸命取ってるのに、
それでも察することなく、ガンガンと、こっちの気持ちも無視して踏み込んできて、
「僕は○○さんが好きなんだ~」とか、「君が僕をどう思っていようが、僕はあなたをあきらめませ~ん」とか、うるうるした目で見つめられたら。
どう思います?
その彼の気持ちがたとえ本心からの純粋なものだとしても、
ハッキリ言って、
「それがどうした?」
って思わない??
(;´Д`)
純粋だからいいんですか?
好きだから何をも超えるんですか?
そんなに、「好き」って思いは尊いものなんでしょうかね??
自己犠牲って美しいの?
相手がどう思ってても??
相手の気持ちがないのに、
そこに向かって突進し、
自分の「好き」を主張するのは、
前も言ったけど、
暴力です。
私はいつも、相談に乗ったり、悩みを聞くたびに、思うことがある。
そんなにあなたの「好き」ってことはすごいものなのかな?
そんなことより、ずっと大事なものがあるでしょ。
それってなんだか分かるかな。
相手の気持ち、です。
私は、恋において、
何より大事なのは、
自分の「好き」って気持ちではないと思う。
何より大事なのは、
相手の気持ち。
そして、みんな間違いがちなんだけど、
こっちが「好き」って言うことが、
100%何があっても、何をしても、あなたが誰を愛していても私はあなたが好きですっていう態度が、相手の気持ちを思うこと、
ってなふしがありますが。
全然違うでしょ。
それは相手の気持ちを思うことではない。
自分の都合のいいように、相手の気持ちを推測しているに過ぎない。
だから、うまく行かないのです。
それはストーカーの論理です。
相手のためをおもってる。
私は相手を愛しているから、その気持ちを伝えなきゃ。
何があろうと、あなたを見つめている。
たとえあなたが私を好きになってくれなくても。
それがどんなに相手の重荷になるか。
そこに対する想像力がない。
私のかつての知り合いは、
付き合ってない男友達に入れあげて、
彼には彼女もいたし、本命の子もいたのに、
「私ほど彼を理解している人間はいない。彼も、人間的に私を頼ってるし。」
と思いつめ、
最後は、彼の家を外から見つめる行為を繰り返してしまいました。
彼が、彼女といっしょに家にいるのを見ても、
彼女は、「あれは本当の愛じゃないから」と、
好きでいるのをやめなかった。
「やめなよ」ってもちろん言いました。
彼からも期待させないように言ってくれと頼みました。
でも、だれも、当の彼さえも、
彼女の思いを止めることはできなかった。
でもあの時思った。
いくら言っても、止めても、止まらない、
あの思いは、もはや妄執です。
恋ですらない。
ハッキリ言って、恐怖です。
そこに、当事者の、誰より大事なはずの彼すらいないのですから。
私たちだってそうだから分かると思いますが、
男も女も、
自分が好きでいたいのです。
どっちかが多く好きだと、
片方は好きではいられなくなるくらい。
好きの気持ちは、鏡合わせ。
どちらかが過剰に好きだと、
相手はその分好きをそがれてしまう。
私は、
誰かを好きだと思う、相手を思い、
ドキドキと胸を痛めることの幸せを知っています。
だからこそ、
そのいとおしい気持ちを、
自分ではなく、
相手に、味わって欲しいと思う。
自分は多少その気持ちを我慢していい。
自分が追いかけることでしか味わえない、
そんな恋の切なさも、うれしさも、
私は若いうちに存分に味わったから。
もう十分。
あげられるなら、相手にあげたい。
相手が、どう思うか、
それを想像すること。
その中には、
もしも自分が相手を追いかけさせてあげたなら、
どれだけ彼はドキドキ楽しく、
追いかける幸せを味わえるだろうか、っていうことも入っている。
相手に自分を好きでいさせてあげるのです。
それが、相手の気持ちを本当に考えることなんです。
よその恋愛サイトでよく読みます。
いかに相手を好きで、自分には振り向かない元カノや元彼を待って、
自己犠牲の気持ちで追いかけ続けてるかってことを主張する人たち、そういう人たちへの賛歌。
でもね。
私は、そういう人は、ただの自己満足だと思う。
相手のため、相手のことをおもって、って言うけどさ。
だったら、
相手に好きにさせてあげることが、
一番相手のことをおもうことだよ?って思う。
好きにさせることもできず、
ただ自分が好きだ好きだと言っていたって、
相手はこれっぽっちもうれしくないんだ。
もしも相手が自分を好きになれないなら、
そこまで追いかけることができないようなら、
潔く身を引くことが、相手を思うこと。
相手に執着して、
相手を追いかけたり、ただただ待ち続けることは、
これっぽっちも相手のためなんかじゃない。
たまに私に、
「そこまで駆け引きしなきゃだめですか?」って聞く子がいる。
あぁ、だから駄目なんだよ、と思う。
これは駆け引きじゃないんです。
恋愛の心配りなの。
相手に対する愛情の心配り。
相手が自分を好きでい続けられるように。
いつまでも新鮮な思いで、追いかけたくなるように、
自分の気持ちを多少セーブして、
自分が追いかけたい気持ちをぐっとこらえて、
相手に追いかけさせてあげる、
これはね、相手への思いやりです。
駆け引きなんて、小手先の技術じゃないのよ。
っていうか、恋愛指南本で読んで
小手先の駆け引きをしたって、
手に入れたらどーっと彼一色になり、追いかけ始める人が多いでしょ。
それこそ、小手先の駆け引きでしかない。
そうじゃなくて。
私が言いたいのは、
相手の気持ちを測りながら、
つねに、自分を思ってドキドキしたり、せつなくなったり、うれしくなったりできるように、自分の身のふりをあれこれ調節することは、
相手への愛情なくしてはできないってことなの。
出し惜しみとは根本的に違うのです。
ってなかなか難しいかな。
(;´Д`)
でもね、心がけが大事です。
いつも、視点として、
「彼に好きでいさせてあげること」というものを持ってるか持ってないかで、
いろんな判断に大きな差ができるんです。
相手を思う、というのなら、
本気で行こうよ。
本当の本当に、
相手が幸せなのは、
何なのか?
考えてますか?
自分の存在を無にしても。
その答えは出ますか?
たとえば、あるサイトで相談してた男性ですが、
「昔の男と不倫の恋に舞い戻ってしまった元カノが心配でずっとそばにいます」
というケースがありまして。
みんなそろって、「あなたは偉い。彼女のそばにいてあげて」という論調だった。
でも私は、違う、と思った。
もし本気で彼女を助けたいなら。
彼女を思うなら。
彼女が彼を追いかけるようにしてあげるべきだ。本心から。
そのためには、
彼が男らしく彼女をあきらめるそぶりをするほかない。
だって、彼女は、
昔の男との刺激的な恋に夢中で、自分を盲目的に愛してくれる男に、なんの魅力も抱けないんだから。そんな男がそばにいればいるほどに、
彼女は、彼の存在に甘え、余計刺激的な恋にはまってしまうのです。
だから。
彼女を救うには、いま彼がそばにいることは逆効果。
彼を彼女が愛することはないのです。
いくら彼女を思っても。待っていても。
そういう人間の簡単な心理を、
恋をしている人はみんな見破れなくなってしまうのです。
好きでいることや、自己犠牲、長く耐えて思うことに、
すごいすごいと拍手を送り、
大事なことを見誤る。
大事な大事な、
相手の気持ち。
相手の本当の幸せを。
私はね、いつでも、
彼が私より愛する人ができたなら、
よろこんでこの場所を明け渡す気でいます。
いまは彼が私を誰よりも大事だと思って、追いかけてくれるから、
彼が私を好きでいることで、幸せを感じているから、
そばにいますけどね。
私が彼を幸せにしなきゃいけない理由もない。
誰かが彼を幸せにするんでもいい。
彼に、幸せでいてほしいし、
そこに私が関わろうが関わるまいが、
そんなことはどうでもいいのです。
ただ、自分が出来る限りは、許される限りは、
彼が私を好きで幸せであるよう、がんばる気でいます。
そして、そうすることが、私の幸せなんです。
そう、昔のように、
追いかけてドキドキして、
せつなく楽しい恋は、できません。
でも私には、もっともっと大事なものがある。
それは彼の、こころ。
彼が、私を思って幸せならば。
私はそれこそが幸せ。
そのために、
多少知恵をこらし、自分をコントロールし、気持ちをセーブすることに、
何の苦痛もありません。
彼に、私を、好きでいさせてあげること。
これが大事なのです。
自分が、彼を好きでいることよりも。ずっと。
こっちのほうが大変なんだよ。
好かれるようにするほうが、ただ好きでいるよりずっと難しい。
デート80%で我慢するほうが、120%でいっしょにいるよりずっと大変なのよ。
知ってる?
メールを送りたいだけだばだば送るより、
一日熟成させて置いておくほうが、
力が要るの。
長く書きたくなるメールを、
短く済ませることも。
ときに会えない時間をつくることも。
彼に、気持ちを、つないでもらうため。
彼が、好きでいてくれるように。
誰より大事な、彼のため。
自分の「好き」しか見えない人は、
恋愛においては、子供と同じ。
感情のままに振舞う、ただの子供です。
相手の気持ちを想像して、先回りして、
本当に効果のあることができるようになって、
初めて、恋のやり取りの意味を知る。
恋の不思議な裏表を知る。
誰かを理解するということの難しさを知る。
恋愛は、とても高度なコミュニケーションです。
その複雑さ、繊細さを見るにつけ、
いくつになっても完成することはないんだなと思う。
そして、だからこそ、
相手を思うこの思いのあれこれが、
とてもいとおしいものだと思えるのです。