「ネガになる理由」いきなり非公開にしてごめんなさい。
いただいたコメントもちゃんとってあって、
すごくためになりました。
私が非公開にした理由は、
もしも私の記事を読んでネガになる人がいたら、
それってすごい不本意!言いたかったことの逆じゃん!って思ったからです。
でも、おかげさまで、私自身、
さらに深くあの記事の内容を考えることができて、
親にも素直にやさしくできて、わだかまりを自力で修復できて、
ほんとあのとき厳しくも愛あるコメントをくださった方のおかげです。
ありがとう!!!
そして、たくさん、励ましのコメントくれた皆さんも、ありがとう!!!
(おかげで自己嫌悪から立ち直れました)
で、誤解をされないように気をつけつつ、
あのとき書きたかったことをもう一度、
書きなおそうと思います。(笑)
あの記事にはベースがありまして。
「呪い」というぎょっとする言葉も、
実は、私が雑誌で昔読んだ内容が言葉ごと気にいったからなの。
だいぶ昔の記事ですが。→「自信のなさには呪いがかかってる」
つまり、
私たちが、何気なく接しているいろいろな情報、言葉、
それらの力で、いつのまにか「当たり前」だと思って心に根づいてしまう、
ネガな情報、というのがある。
たとえば、婚活ブームで、
「結婚は活動しなきゃできないものだ」とか、「いい相手は必死に探してこそ見つかるものだ」とか。
ちょっと古いけど、
「結婚してない働く30代女子は負け犬」とか。
そもそも、25過ぎたらクリスマスケーキ。どんどん女としての価値が下がっていく、とか。
そういうの、確かに世の風潮として「常識」になってるでしょ。
でも、そういうのに、無防備に触れていると、いつのまにか、自分に自信がなくなります。
意地悪な言葉に、自分を攻撃する常識に、徐々に徐々に被曝して、
気がつけば、「卑屈モード」になっちゃいます。
「彼氏がいなくて35の私はもう女として終わってるんじゃない?」
「ずーっと長いこと彼氏がいないってことは私のこと好きになってくれる人なんかいない」
「結婚できないなんて何か欠陥があるんじゃない?」
などなどね。
確かに、周囲の人の批判には正しいものもありますよ。
そういう助言は、ちょっとむかっとしても、受け入れて、咀嚼するべきですよね。
でも、ただむやみやたらと相手を落ち込ませるだけの目的の言葉を吐く人といっしょにいたり、
自分が特別ナイーブになってるときに、相手にケアできない無神経なタイプの人(親)と会うと、
無駄に落ち込むことがあります。
自信を失うだけ失って、
そこからの打開策もない。
そんなのが最悪。
だってさ、本当に相手のためを思う助言であれば。
その人を落ち込ませることを言ってもしょうがなくて。
どうしたらよくなるか?ってことを言えるはずでしょ。
「結婚できないなんてみっともない」という言葉ではなく、
「次は結婚につながる出会いがみつかるといいね」という言葉だったり。
「結婚てすごくいいものよ」とかね。
うちの親兄弟は、そういう意味では、まったく逆効果なことしか言わない人たちで。(;´Д`)
聞いてるとなんとな~く嫌な気持ちになって、
なんか自分が欠陥人間のような気がしてきちゃうんです。
本人たちはまったく悪気はなくてもね。
で、
そういうネガな言葉、意見を、
ただ無防備に浴びているのは、やっぱり無駄に自信をなくすだけだと思うの。
そもそも、ネガな言葉つかいをする人は、
そのせいで自分も損してる可能性は高い。
自分自身も、何かに不満で、それがよくわからなくてイライラしてるから、
他人に対しても厳しくなっちゃう。
相手が傷つくんじゃないかって思いやる余裕もない。
幸せな人は、他人に対してやさしい言葉を選ぶものだから。
私自身、自分が本当に自信もなく、不安に押しつぶされそうになって、
卑屈モード入ってくると、どこか言葉づかいがとげとげしくなってしまうの。
いくら気をつけても、出てくる言葉に自分でぎょっとする。
あぁ、今は心がかさかさで、けばだってるんだなぁって思う。
今回も、記事を書いてから指摘されたのでぎくっとした。
あぁ私のネガが、誰かを傷つけるようであってはいけないなって。_| ̄|○
私は、昔は、そう言うネガな言葉にとても無防備で、
全部浴びるだけ浴びて、
むしろ意地悪な意見ほど傷ついていつまでも忘れられなかった。
「ブスのくせに!」って冗談で言われたりとか。
「モテない女って感じ」とかさ。
今は信じられない。そんな言葉を聞いて笑ってたなんて。
つうか自分がそんな風に言われてたこと自体がびっくり。
なんでそういうこと言っちゃう人がいるのかねえ。
あの頃は、そんなことさえ深く考えなかったのよね。
そんで、言われるままに信じてた。
自分で信じ込むように行動してた。
でも、いまはそんな言葉がいかに恐ろしい威力を持ってるか、を知ってる。
言われなくなっただけじゃなく、
自分でもそういうこと言う人のそばに寄らないようになった。
自己防衛するようになったのね。
傷つく前に、
その言葉を受け取ってしまうぎりぎり手前で、
「ちょっと待って!この言葉はネガティブだけど、この言葉の出所をよく考えよう!」って。
頭に定着させちゃう前に、どうしてその言葉がやってきたかを考えるの。
たとえば、
「あなた、だからモテないのよ」と言われたとする。
その言葉の、
「モテない」という言葉=結果だけを受け取ってしまうと、自分に自己暗示がかかる。
「私はモテない」という情報だけを気にするように人間は出来てるからね。
でも、そういうショックを受ける前に、
よ~く考えて、
「だから」の部分に注目してみる。
「いつも尽くすからだめなのよ」なのか?
「引っ込み思案だからだめなのよ」なのか?
「見かけに手をかけないからだめなのよ」なのか。
そこを何も言ってくれずに、
「モテない」とだけ言われたのであれば、
言った人がそうしてその状況で、
そんなことを言ったのか、よ~く考える。
その人自身、自分がモテないのでネガであるのか。
ただ私を傷つけたくて言ったのか。
いつも誰にでも意地悪を言ってしまう性格なのか。
その出所を見極めることで、
ネガのパワーを弱めることはできるはず。
そうやって、自分の不安や自信のなさにつながる前に、
定着して自分の中の「常識」に変わってしまう前に、
入ってきた瞬間に選別しないとね。
まさにいただいたコメントの中に素敵な言葉がありましたね。
水や食べ物など自分の体に入ってくるものには気を使うのに、
言葉など同じように自分の中に入ってくるものに対して気を使わないのはおかしい。って。
ほんとだよね!!!!すっごい納得。
とにかく、
私たちは、とってもたくさんの不安の種、自信を失う種、ネガになる要素に囲まれて暮らしているの。
それを意識して、
いつでも、自分が傷ついた時、不安になったとき、ネガになったときには、
その出所理由を明確にして、意識して、
大事なものはきちんとこれからの指針にして、
だけど無駄なものは捨てちゃう。
意味のないものとして心からシャットアウトする、のがいいと思う。
ちなみに。
私はおとといまでは、まだネガな気持ちが不意にこみあげてきたりしたの。
ホームパーティの支度をして料理なんかしてると、
「去年まではパーティには彼氏がいつもいたなぁ」な~んて考えちゃってさ。
相変わらず、ネガとポジを行ったり来たり。がんばっててもまだまだ不安定。
でも、実際パーティをしてみたら、お客様たちが楽しんでくれる空気が私にも伝染して、
とっても楽しかったし、みんなに会えて笑って、とっても幸せになった。
ネガなんかあっという間に吹っ飛んじゃった。(爆)
鬱々してなくてよかった。
一生懸命ネガと取り組んで、自分で浄化しておいてよかった。そう思います。
やっぱり前向きに生きていれば、いいことも寄ってくる。
いまどこの本読んでもよく出てくる「引き寄せの法則」だなーって。
幸せ!!っていう気持ちでいると、もっともっと幸せが寄ってくるの。
幸せほいほいのように、幸せが向こうから近寄ってくる。
思いもよらない出会いや、楽しい偶然、うれしい言葉、笑顔、感謝、
そういうものがいっぱい、集まってくる。
だから、
な~んにも幸せって思うものがないときでさえ、
自分で幸せに向かうようかじ取りしていけばいいの。
ちいちゃな幸せを集めて行けば、
大きな幸せが寄ってくる。
これぞ、
幸せはエビで鯛を釣る。(爆)
今はとっても安定して幸福で、ちょっとだけドキドキして。
いろんなことが楽しいし、幸せ。
誰に傷つけられても、
嫌な言葉をもらっても、
自分で浄化しちゃえば大丈夫。
こういう状態で、
本当に探しているたった一人の人に会えたらいいな~と思うのです。