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傷ついたから分かること

 私は、今まで、とってもたくさんの間違いを繰り返してきました。
何度も言いますが、私は、全然恋の達人ではありません。(;´Д`)
いまだに、自分のこととなると、
あっという間に視界が狭くなって、
ドキドキして、
「恋愛部長助けて!」とか意味不明なことを言ってしまうくらいです。(馬鹿)
大事な人を傷つけました。
がっかりさせました。
一生をいっしょに、と思った人さえも、
不幸の淵に突き落としました。
とてもじゃないけど、
人に誇れるもんじゃありません。
こんな私が、
恋愛ブログなどやっていいのだろうか?と悩んだこともいっぱい。(苦笑)
正直、ブログを閉めようとおもったことも何度も!あります。
でも、みなさんが、「うまく行きました!」「幸せになりました!」と言ってくれることばに支えられて、
ここまで来れたんだなと思います。
今も、深い深い迷いの中にいます。
苦しいです。
自分が苦しめてしまった人を思うと、
涙が出そうなほどです。
恋とはなんと残酷なものだろうと思う。
私は彼を好きでいたのに、
深い愛情を感じていたのに、
それでも、彼を不幸にしてしまった。
それに関して申し開きもできない。
だれよりも幸せにしたいと、誓った人を。
今までは、
自分が振られて傷ついたときは、
こんな風に、苦しんだりしなかった。
失恋したよ!って騒いで、
「あんな男忘れて次行こう!」って勇ましく宣言して、
それでよかった。
でも、いまは違います。
彼が涙を浮かべて、
「何でも変えられるよ」と言ってくれた、
その手を、自分でふりほどいて、
私はわんわん泣いていました。
どうして、私は、
こんなに好きでいてくれる人の手を、
あんなに愛した人の手を、
ふりほどくんだろうか。
どこまで深い業が、私に、あるんだろうか。
私が幸せになる権利は、
この先、一体あるんだろうか。
こんなに誰かを傷つけた私が。
何度も何度も思い出します。
何度も何度も、
胸が張り裂けそうになります。
後悔しない、と決めたはずの、
心の奥が、痛むのです。
ずきずきと、いまも、
痛むのです。
恋愛で、傷つくのは、
別れを告げられる側だけではない。
別れを決断したほうも、
同じように、苦しいのだと。
はじめて思い知りました。
昔は、
ただもう振り払いたいような衝動で、
ひどい別れ方をしたこともあった。
あのときは、このようなもの思いを知りませんでした。
たぶん、もっと傲慢で、若かったんでしょうね。
歳をとるにつけ、
恋とは、もっと深く、そして、人間同士の想いのやり取りになります。
ただ情熱的に想いをぶつけるのでなしに、
徐々に近づき、思いやり、譲り合い、
相手を受け入れて、のみこんで、いっしょに歩いて行く決意を固めて行く。
そういう過程を経た恋は、
自分から引き離すときに、
思いもかけない苦しみを私たちに与えます。
私は、結婚も離婚もしたことはないけれど、
たぶん、離婚するととても疲弊するのは、
そういう、色恋の域を超えた、人間同士のやり取りがそこにあるからなのだと
おぼろげに思うのです。
私が選択した道を、
訝しく思う人はたくさんいます。
「38にもなって、何考えているんだ」
「あんなよくできた人と別れて何様だ」
そういう風に言う人もいるし、
まったくその通りだと思います。
私自身、自分の選択の非道さに、不条理さに、
自問自答して今も苦しんでいます。
ふと、さびしさを感じるときに、
今でも、彼のことを思います。
もうそばにはいない彼を思います。
自分が、ふりほどいた、腕のあたたかさを思います。
でも、人生とは、
すべてが、割り切れるものではなく、
すべての恋が、幸せに成就するわけではない。
だからこそ、好きな人を想い、想われ、
ともにいられることは、いかに奇跡であり、得難いものであるか。
そして、一生に一人と決める人が、
本当に自分の求めていた人であることは、
どんなに幸福なことなのだろうと、
思います。
私の選択を責められても仕方ないし、
とても自己中心的だと思うひともいるでしょう。
なんて馬鹿な人だと、柔軟性のない、頑固な女だと思うかもしれません。
でも、彼の人生を想って、
お互いの人生を想って、
私が別れを選択したことは事実で、
それは、みんなに分かってもらえなくても、どうでもいいことなのです。
そして、恋のやり取りのすべては、
最後は、結局、その当事者以外は、
真実を知らないものなのだと思います。
誰も、他人の恋を裁くことはできません。
裁きは、本人だけが受けるものです。
どんなに恋に傷ついたかは、
傷ついた本人しか分からない。
そして、
それを、正しいとも、間違っているとも言えないのだと思います。
そして。
私は思うのです。
何度も何度も、馬鹿の一つ覚えのように、
繰り返し、間違い、人を傷つけ、
自分を傷つける、この恋、というおそろしい魔物を、
私は、それでもやめられない、ということ。
人を想い、強く慕わしく思い、苦しみ、欲しがり、
信じられないほどの幸福を感じ、
自分が生きてきた意味を知り、
そして、誰かを理解するということの、
誰かと生きて行くということの難しさを知る、
そのすべてが、
私をより強くして、
他人に対する深い愛情に変えてくれるのだと。
昔、私は、
本当に何も知らない、傲慢な子供でした。
友達が恋に傷ついても、
あっさりと、「そんな男わすれればいいのに」と平気で言っていました。
いまでは考えられないでしょ。(;´Д`)
でも、本当に、そのころの私は、恋愛未経験者でした。
でも自分自身が、
とてもひどい恋に我を忘れ、
死んでしまいたいと思うほど傷ついたときに、
まるで封印されたドアが開いたように、
今まで聞いてきた友達の恋の話が、心の中にすっと入ってきたのです。
「あぁ、こういうことだったんだ!」と目が覚めた思いでした。
それからは、
誰よりも熱心に、傷ついた友達の話を聞き、
その人といっしょに悩み、
ときにはいっしょに泣いたり怒ったりしながら、
恋の荒波に立ち向かってきました。
それでも、私には理解できないくらい、
びっくりするほどつらい思いをする人はいます。
そんな恋はあります。
そして、それは、
その人にしか分からない、恋の迷路なんだと思います。
もちろん、
苦しい想いをしないで済む恋もありますよ。
傷つくことも傷つけることも知らずに済む人が。
でも、私は、
傷ついたからこそ分かる気持ちがあるんだと思います。
どんな立場の人も、
一般に、「あいつは彼女を振ったひどいやつだ」と言われる男性でも、
その人にしか分からない苦しみはある。
誰だって、等しく傷つくのです。
恋は、すべてを与え、すべてを奪う。
だからこそ、
その恐ろしさは、
たとえようもない幸福と、裏表なのだと思います。
苦しんでも、苦しんでも、
その間、信じられない幸福を味わったから。
私は、誰をも恨まない。
運命をのろわない。
そして、自分を許してあげようと思う。
誰かを真剣に愛して、
その人のことを自分のことよりも先に考えて、
死んでもいいくらい愛した、その事実は、
自分だけが知っていること。
誰に、認めてもらわなくても。
恋は、
おそろしいものです。
ある日、
すべてを、
完全に、
変える。
もう二度と、
もとには戻らないくらい。
それでも、
恋をすることでしか、
私たちは、
手に入れられないものがある。
苦しみを、
乗り越えたときにしか、
見えない風景がある。
きっと、
子供を生み、家庭を守る、
そのために傷つかない強さを、
私たちは、恋することで学んでいるのだと。
誰かを無条件で愛することの素晴らしさを、
この先もずっと伝えて行くために、
愛がすべてを壊し、
すべてを許す、
その力を、
誰かに伝えていくために。
どんなに傷ついても、
どんなに誰かを傷つけても、
それでも、
恋をすることを、私は止められない。
人を、恋しいと思う気持ちは、消すことができない。
そのすべてのもの思いを、
私はとてもいとおしいものだと、
思うのです。