急に昔のことを思い出したので書きますw
今もたまにそうだけど、私は、元来ものすごく自分に自信がなくて、
すぐくよくよするし、他人の目が気になって足がすくんでしまうことが多かったのです。
今はそれを克服する方法をいろいろ身につけたので、
全然ほぼ大丈夫ですが(;´Д`)
一番よく覚えてるのはね、
昔、社内に好きな人がいたことがあったのね。
彼も私を好きなんじゃないかと思ってて。
でも、不安だった。
彼の姿を見たくて、席の近くうろうろしたり、
話しかけるきっかけを探したり。
彼から話しかけられないかな~って期待したり。
でも、だんだん彼のことが気になりすぎて。
彼に話しかけてもらうこと、
彼と偶然でもいっしょになって、「ご飯でもどう?」って言ってもらえるんじゃないかって、
偶然ばっか期待して、
それが裏切られると、心の底からガッカリして。
約束もしてないんだから当たり前なのに、
あのころの私は、
まるで偶然という名のおこぼれを待ってる子だった。
今思うと、
「そういうものほしげで、びんぼっちい態度が駄目なんだよ!!!!!」って
自分に喝を入れると思う。(爆)
でもあの頃はそうでした。
それの何が悪いかさえ気づかなかった。
ただただ、偶然、彼のきまぐれ、そして、周りの流れに乗って、
彼とツーショットになることを期待してるばかりだった。
そして、だからこそ、
だんだん彼を見つめることに苦しくなって来て、
だんだん自分を追い詰めた。
今でもはっきり覚えてるのは、
彼の姿を遠くから見るときのせつない気持ち。
仕事が手につかない絶望的な気持ち。
そして、だんだん、自分から彼に話しかけに行くことができず、
私を無視して帰ってしまう彼に対する、おかしな劣等感。です。
自分でも、自分がどんどん彼ばかりを窺い、
自分らしさを失い、
彼だけに左右されている毎日になってることにいら立っていた。
でも。
好きだからしょうがないんだと。
あの時は、直そうとも思わず、
勝手に悲劇のヒロインになってたものでした(はいはいって感じ)
でも、ある日。私は気づきました。
自分がまったく上手に笑うこともできず、
疑心暗鬼になり、
彼の友達でさえ、私たちのことを邪魔しているように思え、
そして、私は誰からも話かけられない、
まるで孤独な、モテない女の子であるかのような感覚に苦しんでいることに。
そして、そこに何の根拠もないことに。
そう。
自分が勝手に、くら~く、じめじめ、好きな彼の姿だけを追って、
彼に話しかけられることだけに息をつめ、
偶然彼といっしょにいられる機会を受け身に狙ってた。
それが悪いってことに。
ある日、もしや?と気づいた。
で、同時にある可能性に気付いた。
「こんな風に、人の顔色をうかがい、考え込んでいる、自分でも自分は仲間はずれって思いこんでるような女の子は、周りもそういう対応するんじゃない?」
「私が、誰からも愛される女の子ってふるまって、その自信をもって接すれば、そんな子を軽んじられるひとはいないんじゃない?」
なんでその発想が降ってきたかはいまだに不明ですが。(;´Д`)
ある日、閃くようにそう思った。
そして、私は、その発想にしたがって行動したんだ。
私は、みんなに愛されている。
みんな私に話しかけたい。
私は、人気者。
そういう笑顔で、肩の力を抜いて、仕事をし始めた。
笑顔が、自分の頬に戻ってきたのを感じた。
そしたら、ほんと不思議。
すごい離れた席の彼が。
ずっと話しかけられもしなかったのに、
向こうから話しかけてきたり、
彼の周りの人たちも、
急に親しげに話しかけてきたの。
ホントだよ。
それで思った。
あぁ、人は、自分の鏡なんだって。
その時、生まれて初めてそれに気づいたんだよ。
自分が、卑屈な自分をつくってた。
みんなに疎遠にされる自分は、自分がそう思い込んで作ってた。
彼を窺うから、彼との間に距離を作ってた。
すべては、自分の心が作り出したものなんだ!!!!!って。
今は、引き寄せの法則だの、ミラーワールドだの、
本にいっぱい書いてあって、「あ、これだ!」って思うんだけど、
私は自力でその法則に行き当たったので。これは本当だと断言できる。
人間は、自分が作り出した自分という像を生きている。
そして、それを見て、周りの人も、それにふさわしい扱いをする。
自分で「自分はモテない」「自分は男にだまされる」「自分は男に裏切られる」って思いこんでる人は、そういうオーラを発しているから、周りの人がそれにふさわしい対応をする。
本人は気づいてなくても、
人間は、自分が信じている通りの役柄を演じるように、生きている。
言葉の一つ一つ、行為の一つ一つ。すべて、自分の、キャラ設定に則ってるの。
そこから逸脱したイメージなどどこにもなく、
自分だけが、自分のイメージを書きかえることができる。
たとえば、何度も言ってるけど、
私は、昔、自分がモテないと思いこんでた。
本気でそう信じてた。
美人じゃないし、仕事ばっかしてるし、女らしくないし。
かわいくない、結婚に向かない、本気で愛されない女だと。
自分に言い聞かせて、それをいいわけに生きていた。
仕事を隠れ蓑にして。
でもね。
実に簡単なことですが。
ある人に、言われたの。
「○○さんは本当にかわいいですね」って。
え??????って思った。
かわいい?????
年下の、そんなに仲良くもないその人に、言われた一言が私の20年以上を解放してくれた。
かわいい?
え?私にかわいいって形容詞がつくの?!
私は良くも悪くも、暗示にかかりやすいし、すぐに信じるタイプだし、
考え方がころころ変わるやわらか頭(単細胞ともいう)ので、
そこでハッとしたんだね。
「私もかわいいってことあるんだ!」って。(;´Д`)
そして今では、すっかり、
「年と顔の割になぜか恋の噂の絶えない幸せな人」ですよww
それって、自分の中の自分のイメージが変わったからだと思う。
自分自身が変えたの。
自信を持つとか簡単な話ではなく、
自分のセルフイメージを、まったく違うキャラクターに書きかえる感じなの。
今では、
「かわいくて面白くて理想の女性です」とか、
「モテますよね~」とか普通に言われるようになりました。
そして、そんなお世辞(笑)も、「あっはっは!そうかそうかくるしゅうない!」って感じで、気持ちよく聞き流せるようになりました。(;´Д`)
言っとくが、
モテなかった時は、→20代。もっともぴちぴち若いころ。
モテ始め→33以降~今が一番
ですよ。ホント。
年齢でしょぼ~んとかなってる人がいたら、
ばっかもーん!とちゃぶ台ひっくり返すよ。
つまり何が言いたいかって。
つねに、自分のイメージをどう描くなんです。
いま自分がモテない、孤独、悲しい、男に足蹴にされる、都合のいい女、だと思ってるなら。
それはね、あなたがそう思うことが原因で、結果が生まれてるの。
どんなに気をつけてても、一目瞭然。
モテないと思ってる女性のメールは、一言、卑屈なんです。
「私のことなんかどうでもいいんだよね?」「忙しいなら別にもういいよ・・」「私はこういうの慣れてるし」
「2号さんでもいいから、そばにいていい?」
そんな言葉のすべては、自分がまずそういう立場にあるべきって思いこみから生じるんです。
私は婚外恋愛はまったく賛成してないですが、過去に、驚くべき事例を見ました。
それは、
既婚者=つねに家庭以外に彼女をつくることで有名なプレイボーイ、
その新しい彼女=今まで二股さえもかけられたことないモテる女子。
彼女は、その遊び人の既婚者相手に、
「自分が遊び相手なはずがない!」という信念を貫き、
最後は、その遊び目的だったはずの既婚者を、別居、離婚の瀬戸際まで追い込んだのです。
その時彼女と話して納得しました。なぜなら、彼女は、それまでの、彼が付き合ってきた愛人たちと決定的に違ったのです。
「私を好きなら当然彼は行動するはずです」
「私は彼が私を好きだと言うことを知ってます」
「私は日陰になるつもりなんかないんです」
彼女は、良くも悪くも、これっぽっちも、彼の軽い浮気心の存在を認めませんでした。
誰が何と言おうと、「彼は自分に本気であり、自分を妻として正式に認めるはず」という
信念を持っていたのです。
だからこそ、子供がいっぱいいて、
常に彼女をつくって浮気して回っていた既婚者、今回も遊んだつもりの既婚者が、
飲まれて離婚まで行ったのです。
(最後は彼女が逃げて離婚しませんでしたけどね)
彼女の言葉には、これっぽっちも、自分が誰かの二番手であるという卑屈さはありませんでした。
もちろん、それがいいのかどうかというと別の話です。
でも、私の印象では、その彼女には、
不倫のもつずるさや、弱さを感じなかった。
彼女は、自分に自信があり、
彼を不倫という美味しい場所から引きずり出すだけのパワーを持ってた。
普通は、そこまでしません。
相手に気を使い、自分は日陰だと言う不幸気分に酔って、
どっちつかずのずるい二重生活を肯定してしまいます。
彼女は、良くも悪くもすべてを白日のもとに曝した。
そのうえで、彼に、逃げも隠れもできない、答えを迫った。
その、彼女の自信に、私は感心したのです。
それだけ自分を信じられる彼女は、
たとえその彼と別れても、
たぶん、いつでも恋愛でうまくいくはずだと。
ちょっと不謹慎な例でしたが。
人間の自分に対するイメージの持ち方が、相手をどれだけ巻き込むか。
影響を与え、すべてを変えるかという話をしたかったのです。
もしもいま、
自分が周りに不当に低い評価しか受けていない、
大事にされてない、と思うなら、
それはあなた自身が、自分を、低い位置に見ているのが原因だと思います。
私も昔そうでしたが、
仕事でよく怒ったものでした。
「なんでそんな失礼なことするの?!」って。
今でもたまに「失礼な!」って思うけど、昔ほどは怒りません。
それは、相手が自分より明らかに、何も見えてないと分かるからです。
怒るより先に、「しょうがないなぁ」って思っちゃうの。(;´Д`)
そんで、その何も見えてない人に対して、
「お~い、そんなことしてると自分が損するよ!」って言いたくなるの。
そして、そういう穏やかな私の態度に、大体、そう言う人もすぐ気がついて
「すみませんでした~」って謝るもの。
自分の位置を低く見ていると、
そういう扱いをされたと思いこむけど。
自分がそこまで低くないやって思えば、何を言われても気にならない。
たとえば、
初めて会った大学生に、知らない同業者に、
自分の会社をけなされることはよくあるんです。非難される。
「あんたの会社どうなんですかね?」って。
でもそれで腹を立てたことは皆無です。
なんでかって?
そんな何も知らない他人の言うことには何の意味もないから。(笑)
だって自分の会社がいかに素晴らしいか、自分の同僚が優秀かは、
自分が一番よく知ってるし、それを知らない人は、かわいそう!!!としか思えないから。
だからどんな悪口にも寛容にいられるんだと思う。
その感じをさ。
自分に対しても持てばいいんだと。そう思う。
自分がいかに愛らしく(笑、女らしく、魅力的かどうかは、
自分が一番知っている。
だから、知らない人がどう思おうが、関係ないんだよ。
自分さえ、自分のイメージをちゃんと持ってれば、
それはいずれ周りにも影響を及ぼし、
みんながそういう態度で接するから。
いらいらするのは、
まず自分自身が、
自分を信じてないのです。
自分のどこかに不安なのです。
だからそれを他人に見透かされているようで、腹が立つのだと。
そう思う。
私も今でも、不意に、劣等感で潰れそうになります。
でも、その瞬間に気づく。
この劣等感は、周りに私のイメージを発している。
だったら、意地でも、こんな劣等感は克服して、もっとすごい自分に見せちゃえ!って。
「あんなかっこいい人は自分には無理」なんて思ってこっそり片思いするくらいなら、
「あの男は私のよさが分かるいい男かしら?」くらいの気分で相手したほうがいいの。
自分のよさは自分が一番知ってるんだからね。
もしもそこに自信が持てないなら、
まずは人をむやみに好きになってないで、
まずは自分を好きになるように考えたほうがいいよ。
私は、いつも自分を好きな自分に救われてます。
いろんな駄目なとこも含めて、
私は私が大好きです。
おっちょこちょいで、オッサンで、勝手で、夢見がちで、よわっちい、
それでも自分が大好き。
だからこそ、
みんなが私にやさしくしてくれるんだと、
そう思うから。
どうか自分を囲い込んでる檻に気がついて。
自分をまず愛してあげましょうよ。
とっても難しいことだけど、
出来たとき、すべてが変わるのを見るはず。
本当に、いくつになっても遅くないよ。
自分を好きになれば、何も怖くない。
そう思えるから。