私は本当に、一緒にいる人に結構影響受けるタイプだし、元々はすごく人見知り(職業柄バレないようにはしてるけど)なので、合う人と合わない人は明白なの。
合う人と一緒にいれば、
別に何も気張らずにいられるし、好きなこと話して感じたままに物を言っても大丈夫。
でも、あまり合ってない人といると妙に緊張して、
「次何を話そう」「もっとはしゃいだ感じにしないと面白くないって思われるんじゃないか?」と
内心あせあせしてしまう。
それは、恋愛でも言えて、
妙に緊張してしまう人を好きになって、その人の前ではガチガチになってしまうことがたまにある。
一方、まったく緊張もせず素で接してゲラゲラ笑っていられる「好きな人」もいる。
つまりは、
その人との波長の問題なんだと思う。
で、若いころはともかく、
これからいっしょにいるなら、
やっぱり肩に力が入らないで済む相性の人、
素でいても受け入れてくれると思える人がいい。
逆に。
どんなに素敵で理想だとしても、
あまりにその人といると緊張しすぎるなら、
相性が悪いのか、あまりに異質だからこそ惹かれているのか、と考えてしまう。
私は、
恋に、根本的な無理や我慢は禁物だと思っていて。
(思いやりや気遣いは別として)
若いころはすべてに不慣れだから、男性のそばにいるだけで緊張したりするかもしれないけど、
さすがに30も過ぎれば、
緊張ばかりする男、
背伸びしたり、無理しないと付き合って行けない男性は、
何かが違うんじゃないかと思ってしまう。
無理を無理と思わないように考えを変えることもできるし、
自分のスタンス一つですっかり世界が変わることもあるけど。
どうも食い合わせが悪いとか、
すんなり自分の素が受け入れられないとしたら、
もっかい考えてもいいんじゃないかと思う。
「ホントにこの人なのかな?」と。
この人だ!と思うのはある種の思い込みかもしれない。
この人で終わりだったらいいな。
この人が理想だな。
そう思いたい気持ちは分かる。
でも、
どうも相性が悪く、何をどう変えてもうまくハマらないときは、
「神様の言う通り。」
何かが、本当にかみ合ってないんだと思う。
そして、そう思うことで、いったん執着が解けるから。
そうすると楽になれる。
苦しいのは、
「自分の力で」「何としなきゃ」と思うから。
「自分の力では」「何をしてもどうにもならない」と分かれば、
自分を責めたり、今何かを動かさなきゃ、という焦りは消える。
そう、この世は、
自分の思うままに動くものでもない。
唯一できることは、つねに、
自分の心が何者の奴隷にもならないこと。
自分の魂だけは自由であること。
選ばれることを待つのでなく。
自分が選ぶ、という意識を持つこと。
自分に好ましくない状況なら、
その恋を選ばない、という選択があるんだよってこと。
私は恋の執着の奴隷にはなりたくない。
相手を恨んで、
相手に対して我慢して、想いを凝らして、
煮詰まるような恋をしたくない。
自分の大事な人生を、
誰かへの想いだけで塗りつぶしたくはない。
私が求めるものは、
つねに自由なふたつの魂が、
お互いに尊重し合い、寄り添うこと。支え合い、そして自らの人生を選び取ること。
それが受け入れられる人以外、
私はおそらく選ばないと思う。
恋は私に、苦しみを運んできます。
悔しさと、妄執と、切なさを運んできます。
それでも、
私は自分の心を自由にしておきたい。
できるだけ、
心を、恋の奴隷にしたくない。
少なくとも、いつもどこかで相手のことをおもいやれる余裕を持っていたい。
分からない。
そうはいっても、きれいごとかも。
また恋の業火に放り込まれて、
苦しんで転がり回るかもしれないけど。
でも、少なくとも。
恋が私を殺さないよう。
私は私であることを手放さないよう。
それを祈っているのです。
いつも、いつも。