サイトアイコン 恋はいばら道

すべてのことは自分に原因がある

こないだ、女友達と話してて、はーやっぱそうだなぁーって思ったのが、

すべての起こること、見えていることは、

自分に原因がある。ってこと。

どんなに不愉快だったり、心ふさがることがあっても、

不幸ということは、自分が作り出している感情だってことなの。

自分がそうだと思いこんでハマりこんで、そのストーリーというか文脈で見れば、

すべてその通りに見えるだろうし、自分の感情もコントロールできない。

そして、気になるものだから余計飛び出して見えるし、

そうなれば体中の筋肉も緊張しちゃって、

ぎこちなくなる。うまく、動けなくなってしまう。

ますます身動きがとれない。

でも、その元のもと、を考えれば。

自分が考え、自分が執着してるんだよね。

自分が原因で、自分の発想ひとつで解放することもできる。

ホントだよ。

たとえば、昔、付き合ってる人の愛情が信じられない病気みたいになってて、

どんなときも、小さなことがどれもこれも、

「彼が私を大事にしてない証拠」だと思ってたことがあった。

ほんの数時間メールに返事がないだけで、

誘ったら断られただけで、

まるでそのひとつひとつが彼の私への無関心の証拠に思えて、

どんどん心が縮まって、彼のことばかり考えて、

まるで自分の考えのすべてを塗りつぶすようにそればかり考えるから、

ますます小さなものまで見えてきて。気になって。

あの悪循環たらない。

でもある日、ふと別のことに気を取られてたら、

彼のことがまったく気にならないってことに気づいて、

そのとき私は思ったんだ。

「あぁ、状況は何一つ変わってないのに、

彼を疑ることも、信じることもできる。

それは私の側の問題だったんだ」って。

すべてのことは私の頭の中の動きが決めてる。

信じようと思っても信じられないのも私のせい。

傷つくのも私のせい。

誰もかれもが私を笑ってるように思うのも私のせい。

本当は。

全世界に笑われてても、馬鹿にされてても、

まったく何も意に介さないことができれば、それが真実の幸せ。

つい数年前まで、私は、

自分が結婚してないことで皆に陰で笑われてると思い込んでた。

みっともない、恥ずかしいと思ってた。

そういう考えでいるから、確かに周りからそのようなことを言われた気もする。

でも、今はまったくそういう発想はない。

だから周りも別に、「結婚できないんだね」っていう態度は取らない。

というか、そういうことを言ってる人はいるのかもしれないけど、

まったく耳に入らない、目に入らなくなった。

それは、自分がそう思わなくなったからなんだ。

今私にはまったく焦りもないし、

苦しみもない。

恥ずかしくもないし、悲しくもさびしくもない。

ただ、もしもここに、私の大好きな人がいて、

いっしょに笑ってられたらそれは素敵だろうとは思うけど。

でも好きでもない男を無理矢理みつくろおうという気持ちは全く起きない。

その発想の差。

何一つ状況は変わらないのに。

すべては自分が生み出している差。

自分で、ネガティブを先に掃除する。心の中から。

どうしても心を縛る感情があったら、

何度でも浄化する。そこにフォーカスしてから、手放すようにする。

そうすれば、だんだん心の中から抜けて行くし、

もしくは、自分である日制御することができるようになる。

そして大事なこと。

卑屈な態度が、周りの厳しい追及を呼ぶの。

恥ずかしいと思うから、嘲笑されるの。

愛されてないと思うから、愛する必要がないと思われる。

何もかもが、

自分の発想した通りに、なっていくから。

ほんの小さなことなのに、大きな差になっていく。

軽やかに、いつも心が自由でいるのはなんて素晴らしいんだろう。

そしてそれは、自分がその状態をつくれるってことに気づくことから始まる。

執着を解いて、解放する。

好きだと言う苦しみから自分で抜け出す。

この人だと言う思い込みを、ほどく。

ただ生きているだけではできません。

人間は自分の楽なほうにいく。

自分が思い込んだレールの上を走って行く。

一度好きだと思った人を想い続ける。

確かめることさえ避けて回って、

いつまでもぬくぬくと、悲しみの恋に浸ろうとする。

不思議なことに、その悲しみ痛みが甘美なのだ。

むしろ現実を見て、そこから一歩抜け出すほうが、

人はしたくないようなのだ。

不思議なこと。

だけど、一度抜けてみれば、

なぜそこに居続けようとしたのかがもう分からない。

こんなに自由に軽やかになれるのに、

なぜか、不自由な恋の奴隷になり続けたがる。

今はもう信じられないのです。

あれほど好きな男のことで日々眠れなかったことも。

自分の未来を悲観して恐怖で目が覚めたことも。

笑いを忘れて、ただひたすら恨みに思ってたことも。

いまは。

笑っていられる自分は、

自分自身によってつくられていることを知っている。

もう執着のほしいままにはしない。

心奪われても、

自分で取りかえす。

そこに、甘んじて居続けない。

本当の幸せは、

執着そのものではなく、

悲しみ苦しみに耐え浸ることでもなく、

未来を妄想して眠ることでもない。

ただひとつ、

リアルに、生身の、誰かとやり取りすること。

その人のなにものかであること。

そしていっしょに。生きて行くこと。

愛されていることを、実感すること。

愛することのむずかしさを、実感すること。

そして、愛する人を、誰よりも幸せにすること。私の存在自身で。

難しいことは何もない。

ただ気づくだけでいい。

すべては、自分が生み出しているんだってこと。

気づくことからすべては始まるんだから。

今私は、私でいます。

どんな執着も私を苦しめることはない。

たとえ苦しめたとしても、

必ず抜け出せると言うことを、

私はもう知っているのです。