今頃、この年になってつくずく思うことがあって。
それは、
恋愛に関しては、
どうして大事なことを私たち何も習ってこなかったんだろ・・・ってこと。
恋を仕掛けるまで、
男に気があるそぶりしたり、デートまでこぎつけるための
ノウハウとかはいっぱいあるけどさ。
そんなの、実は全然恋愛の序章でしかなくて。
本当に大事なのは、
付き合いはじめだったり、
そもそも付き合うかどうかの判断だったり、
さらに一番大事なのは、
その人は結婚相手ではない、と判断することや、
そう判断した時に、どういう心構えで別れるべきなのか、
ってことなんじゃないかと思う。
あまりに我々女子は若いうちは、無策で、
友達と相談してても、お互い、無知で、無鉄砲で、何も分かってなかったなーと思う。
何度か書いてるけど、
別に、恋愛においては、
相手をどんなに好きだって、結婚できない相性とか、
そういうタイミングにない2人、どうにも何処へも行けない取り合わせってのがあって。
それは、別に、何かを間違えたからそうなるんじゃなくて、
ただ単に、その2人が、「ちがう」ってだけなんだって。
そういう簡単なことすら分からなかったから、
何を間違えたのか?
私の何が悪いのか?
何を直せば彼を取り戻せるのか?って
考えて悩んで泣き暮らしてた。
そうじゃないんだ。
彼じゃなかったってだけなんだ。
彼じゃないから、
どこかに、本当の誰かがいるはずなんだって、
そう思えるようになってからは、
一つの恋に、身も心もズタズタにされることはなくなった。
そして、付き合っていくということの意味も、
全然違うものになったんだよね。
さびしいから別れられない、とか。
彼の気持ちをかき集めて疑って、不安に震えながら付き合うとか、
もうとっくに終わっているのに、好きだから決断できないとか、
そういうのが、どんだけ人生に置いて自分を阻害していたのか。
その時間がどれだけ意味のないことだったか。
今になってはすごくよく分かる。
でも、あの時は、最良の方法だと思ってぐずぐずしてた。
「この年で彼氏と別れて、次が見つかるかどうか分からない」
と、私、30くらいの時に日記に書き残してるんですけど。
それから1年間、彼とほとんど会いもしないで、
別れもしなかった、その時間こそが、
30という大事な年齢にとって致命傷だったのに、
あの頃は気づかなかった。
自分はかしこくふるまおうとしてたんだと思う。
それが逆効果だってことも気づかずに。
ちなみに、そのころの彼2人は、
私に、とあることを言って別れている。
それが、
「君のことは好きだけど、結婚したい相手ではないと思う」。
これ、正直トラウマになるほどショックなセリフだった。
確かに仕事ばっかりしてるし、自分勝手だし、
家庭向きじゃないわよ!と切れてた。
でも今なら、よく分かる。
彼らが言ってた意味。
それは、
君と僕は、ずっと長くいっしょにいるべき相性ではない、
そう言ってただけだったんだなと。
男の人のほうが、ある意味現実的なんだよね。
結婚ということに関して。
それは、私の条件が表面的にどうだってことなんかじゃなく。
2人の相性が、2人の関係が、
単なる恋人同士以上のものではなく、
一生を支え合って生きていけるような、奇跡の相性ではないと、
そういうことを、一生懸命伝えてくれてたんだと思う。
嫌われること覚悟で、
泣かれること覚悟で、
それでも、ごまかさずに私に、それを伝えてくれてたんだなと。
そういう感覚に関して女性は、ものすごく疎いというか。
恋さえあれば、好きならば、
どんなことだって乗り越えていけるはずでしょ?
好きじゃないの?
本気じゃなかったの?
と悲しんでしまったりするものだけど。
そうじゃないよ。
そういう簡単なことじゃないんだよ。
いっしょに生活して、
お互いを家族だと思って生きていくのは、
男にとって、私たちにとって、
それは人生そのものなんだよ、と。
だから、もっとある意味ドライになるべきで。
恋と結婚は別物なのだと、ちゃんと分かっているべきだと思う。
恋は恋で、どんな人とでも燃え上がることができる。
でも、そこから先へ行くかどうか。
2人が契約を結べるかどうかは、
まったく別のファクターが要るんだ。
もしも恋の炎が消えてしまっても、
恋でなく、家族の情になったとしても、
それでも2人が笑いあって、いつまでも幸せに暮らしていけるのかどうか。
お互いを信じて、心から頼り、相手を救う気概があるのか。
相手の人格をまるごと受け入れて、
それをそのまま愛せるのかどうか。
私という人間が、彼という触媒を得て、
健康的で、愛情いっぱいに、笑顔を絶やさず生きていくことが出来るのかどうか。
そのためには、
彼が自分を心の底から大切にして、想ってくれている必要がある。
何よりも、自分を守って、愛し抜いてくれる必要がある。
妥協は、そこでしては行けなくて。
職業だ、年収だ、見た目だ、
そんなものは妥協したって全然OK。
その代わり、絶対に妥協すべきでないのは、
その人が自分を愛していてくれるか、
2人の相性が、長い年月にも耐えうるものなのかどうか。
その点に限る。
そして、私たちが、つきあってから考えるべきは、
つねにその点なんだ。
そこをこそ、補強して行くべきなんだ。
相手の今現在の気持ちの目盛がどれくらいかをハラハラ見守って、
泣きながら相手を疑って過ごす暇があったら。
顧みない男の冷たさに、恨みがましく執着している暇があったら。
2人の「いま」ではなく、
2人の「未来」に、目を向けて。
本当にこの人でいいのか。
この人と一生を共に過ごしたいのか、
彼に大事にされるようにできるのか。
彼は自分をそこまで愛しきれるのか。
その相性が2人にあるのか。
それをつねに頭に置いて、
彼だけにならない。
彼と共に生きる自分の人生を、自分で、デザインして行く。
どんなにちいさなこともでいい。
彼といっしょに生きていくことを、
具体的に形にして行く。
頭の中に思い描く。
そして、それを彼に伝えていく。
こんな風に、あなたと生きていきたいの。
こんな風に暮らしたいの。
2人なら、こんなことが実現できるの。
それを自分で、イメージしていく。
喧嘩してもいい、
意見が違ってもいい。
ただ、その先にあるのは、いつも、
2人でつくる未来であるべきだと思う。
別れをイメージしている女子は、
必ず最後は破局に向かう。
別れるかもしれないと恐れる人は、
必ず別れに向かって行動する。無意識に。
乗り越えていくべきものは、自分の感情。
自分の、甘え、執着、不安、思い込み。
敵は彼ではない。
自分なんだといつも思う。
自分が自分を乗り越え、
不安や疑念を乗り越え、
2人の未来を建設的に描けるなら。
きっともっとうまく付き合って行ける。
付き合っていくっていうことは、
私にとっては、
ただ一人の人と出会うため、
その人と幸せになるための、
大事な道のりなんだと思う。
たとえ、それが違ってる人との付き合いでも、
ちがうと分かることで、
もっと深く男性という存在を知ることができる。
ただ一人の人を、救うための、大事なステップになる。
私は、たくさんちがうひとと恋愛して来た。
そのひとりとして結婚しなかった。
でもその道のりの中で、
たくさん分かったことがある。
こうすればいいんだ、こう考えれば、幸せになれるんだって、
たくさんの発想をもらった。
誰とも付き合わなかったら分からなかった。
傷つくことも、傷つけることも、
それを経ないと、行けない場所、
見えない風景がある。
それを私は、誇りに思っている。
恋に狂って、泣き叫んだことも、
切なくて苦しくて、1人で声を殺して泣いたことも、
自己嫌悪で死にそうになったことも、
傷つけた人に申し訳なくて、苦しかったことも。
そのすべてが、今につながっているから。
本気でその一人ひとりを愛してきたことに、悔いはない。
だからこそ、今は、心穏やかに、
未来につながる想いを紡ぐことができる。
側にいてくれる人の、愛情を、得難いものと感謝することができる。
そういうことを、
もっと、もっと若いうちに知っていれたら、と
それだけを悔しく思う。
せめて私より若い皆さん、
時間を無為に浪費しないでください。
恋に生きられる時間はたったの20年あまり。
その間に、人生を共にする大事な人を見つける必要があるのです。
臆病になってる場合じゃないよ。
傷つくのを怖がってる場合でもないし、
1人を恐れていてもダメ。
自分が自分を見つけた時に、
誰かが、自分を、見つけてくれる。
私の回り道が、
みんなの道しるべになることを祈って。
皆さんの長い物想いが、
本物の幸せにつながりますように。