最近、アメーバの相談コーナーみたいのに上がってたトピックで、
絶対それダメだよーっ!ぎゃー!ってのがあって、
まぁそこにコメントすりゃいいんだけど(笑)
意外とみんなのコメントがyes no分かれてて、
「え・・・みんなそう思うんだぁー」ってなったので、こっちに書くことにしました。
(;´Д`)
それが、たしか、
「長く付き合った彼氏に突然婚約破棄されて、ショックを受けた。
それが原因で、男性不信になってしまった。
いまようやく付きあいたい人がいるけど、このトラウマについて話しておかなければ
すべてを分かってもらえると思えないので話そうと思う。どう思うか?」
です。(私の記憶が正しければ・・)
そして、私は絶対NO!何言っちゃってんの!?だったわけですが、
コメントには意外と、
「それを受け止めてくれるような相手でなければ云々」とか
「好きだったら正直に何でも話すべき」とかいうのが多くて、
ひえーみんな何言ってんだよ~ダメだよ~
って思ったわけだ。
まぁでもこれ私の意見でしかないんだけどね。
でもね。
もしいばら道を読んでくれてて、
上記の相談のようなことを思った事がある!という人は。
ダメ、絶対。
やめようねそんなことは。
と強くキッパリ私は言う。
ダメな理由はいろいろなファクターがあるんだけど、
まず大前提。
過去の男にされた嫌なことを、
未来の男に償ってもらうつもりなら、お門違い。
ということです。
過去の傷をいやせるのは、
新しい男ではありません!
あなた自身だけです。
誰かに、過去の傷をいやす義務をしょわせるのは、
あまりに自分勝手というものです。
誰だって、自分のしたことでない過去の出来事を、
自分の責任にされたくないし、
そんなの借金みたいなもんだよ。ないに越したことはない。
まずここが、悪いけど、他人に対する甘えだと思う。
それからもうひとつ大事なこと。
こういうトラウマを告白したがる心理の底には、
傷つけられたことがあるから、
あなたは絶対に私を裏切らないでね!
という無言のプレッシャーがあるもんだ。
これは私自身が大昔に経験したんですが、
いじめを受けたことがある女友達で、
やたらとそれを話す子がいて。
最後は必ず、「あなたは私を裏切らないよね?友達だよね?」と念押しされて、
正直すごく嫌だった経験がある。
別に、そんな話しなくても友達だし、
私は裏切ったりいじめたりするような人間ではない。
なのに何度もその話をされると、
まるで脅迫されているような気分になる。
絶対に裏切るな。私は傷つけられたかわいそうな子なんだから。
あなたは私にはやさしくしなければいけないのよ!
大げさだけど、そんな風に圧力をかけられてる気がするんだよね。
なんでそんな話をしたの?
私は普通に大好きだったのに。
友達だったのに。。と悲しくなりました。
まぁ最後に私を裏切ったのは彼女のほうでしたけどね。(苦笑)
男が絡んだら、あっさり、彼女は男をとりました。
その時にも思ったんだけど、
そんな風に、自分の過去のつらかった話をして、
その代償としての誠実さを他人に求めるのは、
相手にしてみれば大変なプレッシャーだよ、と。
本人は意識してないにしても、
相手はそうとるよ、と。
それから、もう一点。
これはまったくの無意識の作用についてで、
ここがみんな知らない部分だと思うけど。
相手に大事に思われなかったこと、つまり
虐待された、暴力を受けた、浮気された、二股かけられた、捨てられたなどなどのトラウマを新しい別の人に言うと。
同情されるのは最初だけ。
実は、まったく同じようなことをその人からもされてしまう可能性が上がる!という恐ろしい作用。
すべてがそうとは限りませんが、
結構な頻度でそのようなことが起こるらしく、
これはもう無意識の刷り込みなのか、心理的な法則なのか分かりませんが、
そういうものらしいです。
確かに、私自身、もしも相手にそのようなことを告白されたとして。
それはもちろん同情するだろうし相手がかわいそうと思う。
でも、何かあったときに、こう思う。
「あぁこの人はこういう性格だから、こういう部分があるから
過去にそんなひどい目に遭ったのかも。
そういうものを引き寄せるものを持ってるのかも」と。
これってひどい話だけど、本当だよ。実際、私もそういう風に思っちゃった経験あるもん。
こればっかりは、一度聞いてしまえば二度と消せない。
どんなに理性で、否定しようとしても。
「この人には大事にされない理由があるんだ。」
という風に、
どこかで思われてしまう。
それは、どうしようもない。
だからね。
私は、絶対に、過去に何があろうと、
過去のトラウマは自分で解決し、乗り越えるべき、と言います。
同じことを、レコードの溝のように繰り返したどらないために。
トラウマを断ち切るために、
絶対に、その事実を、他人に吹聴しない。告白しない。共有しないこと。
その重荷を、分けあって持とうとしないこと。
それが男女で、出会ったばかりならなおのこと。
確かに、長い年月つきあって、
いっしょに暮らして、
気心も知れ、
相手に何があってもひるまないだけの信頼関係があって、
お互いのすべてを受け入れるような状態になった時には、
この限りではないと思います。
でも、若くて、恋をしているような不安定な時期、
相手のこともすべてを受け入れるような人間的器もできてないころに、
いたずらに過去のトラウマを相手に開示することは、
自殺行為だと思うんです。
自分にとっても背負うのが重い荷物、
他人だったらなおさら重い。
そして、過去の恋愛で傷ついたことなら、
今の相手にはまったく関係ないこと。
私のすべてを受け入れて、
どんな私も変わらず愛して。
それは耳触りがいい。
真実のように聞こえる。
でもね。
相手にしてみたらどうだろう。
相手にとって、
キラキラしていた、憧れの、まっさらに美しい彼女。
その彼女を愛するという幸福を取り上げられ、
イメージを砕かれ、
当惑しないわけがない。
人間はそんなに強くない。
何度か書いたかもだけど、
過去に不倫したことを、罪の意識から
彼氏に告白したせいで、
それまで熱烈だった男が急に手の平返したように
彼女が捨てられた、という実例もあります。
彼女にしてみれば、
彼にすべてを話すことで楽になりたかったんでしょう。
それでも愛してる、と彼に言われて
より愛を確認したかったんでしょう。
だけど、実際は?
彼の愛を失った。
たったひとつの事実を伝えただけで。
その話は彼のほうから聞きました。
彼は悔し泣きしながらこう言った。
「僕が好きだった彼女はもういない。
イメージはすべて壊れてしまった。
もう知らない前には戻れない。
どうしてそんなことをいま僕に話したのか!」
私は彼を責めることはできなかった。
あなたは心が狭い、なんて言えなかった。
彼女の本性が分かってよかったね、とも思えなかった。
つくずく、人間とは悲しい、どうしようもない生き物なのだと思った。
もっと愛されたくて、もっと受け入れてほしくて、
相手にすべてを明かすことで、
相手のすべてを失ってしまう。
そのすれ違いはとても切ない。
決してその想いは嘘ではなかったのに。
彼の想いも本気だったのに。
受け入れる、なんて簡単に言うけど、
人間には、到底受け入れがたい事実だってあるんだよね。
それに、トラウマを背負っている本人だって、
自分のトラウマを受け入れてないから、
そんな風に開示したくなるんだと思う。
自分が受け入れられないものを、
相手に受け入れろと強要するのはおかしい。
そんなのはファンタジーだよ。
ではトラウマを背負ったらどうすればいいの?
人間誰だって、大なり小なりトラウマはありますよ。
長く生きていれば必ず傷ついた経験はある。
傷つけられることはある。
でも、それを、
いつまでも大事に抱え続けている限り、
同じことは繰り返されてしまいます。
男を信じられなくなった人は、
信じられなくなったからこそ、まただまされるんです。
ビクビクして、騙されまいと心をトゲトゲにしているから、
逆にそういう人をおびき寄せる。
一番だまされない人、傷つけられない人は、
自分が傷つけられるなんて疑いもしない人だと私は思います。
だから、もしも過去の傷つけられた出来事、
自分の尊厳をメタメタにされるようなひどい出来事があって、
どうにも未来に目が向かないようならば、
まずは、その傷を忘れられない「自分」と向き合うべきだと私は思う。
傷は、トラウマは、
きちんと処理しておかないと、
いつまでたってもデフォルトで顔を見せるからね。
恋をする前に、まずは、
その傷を負った自分を癒してあげる。
自分は悪くないんだよ、
自分はもう二度と傷つけられることはないよ、と。
へんな言い方だけど、
自分を許してあげる。
過去に傷つけられた自分を、
本当はどこかで自分も責めているんじゃないかな?
「私がよくなかったから、私は大事にされなかった。ひどい扱いを受けた。」
「だから私は愛されなかった。」「私は捨てられた」
そんな風に、自分を無意識に責めてるんだと思う。
だから一度、自分だけと向き合って、
しっかり自分を受け入れて、
自分を許してあげる必要があるんだよ。
他人ではなく、
未来の恋人でもなく、
自分が、自分を許して、受け入れてあげる。
そうすれば、傷は傷でなくなり、
過去は、遠い記憶となる。
その時はじめて、
過去に自分を捨てた恋人、傷つけた恋人、執着してやまない、そんなひどい男たちのことも、同時に、許して受け入れることができるんだよ。
私は、自分と向き合って、自分をまずは許すこと、
自分を受け入れることから始めました。
最初は骨を折った。
難しかった。
自分の中にたまりにたまった過去の傷はいっぱいあって、
どうにもとりのぞくことは不可能に思えた。
でも、一個一個、
消化して、
怒りを取り除き、
自分を攻撃する自身の言葉の刃を取り除いた。
そのために一人旅にもよく行きました。(笑)
ノートを一冊持って、
国内も海外も。
フラフラと見知らぬ街を歩きながら、
温泉につかりながら、
山の稜線を見ながら、
私はただ一心に、自分の心の中のたくさんの刃と向き合ってみた。
まったく呆れるくらいたくさん、
私の中には、被害者意識の塊があって、
ネガティブ、コンプレックス、傷ついたことによる臆病、
相手に対する恨み、つらみが、眠ってた。
それが私の恋愛を阻害する大きな壁をつくってるんだと分かった。
でもその存在をひとつひとつ明らかにして行くと、
不思議なくらいに、それらが昇華されるんだよね。
ぎゅっと意識した次の瞬間
ふっと執着が溶けて行く。そんな感じ。
長いことこびりついていた感情すらも、
根気よく相対してたら、やがて溶けて薄くなっていった。
自分を救うことは自分にしかできない。
その時改めて私が強く思ったこと。
これはきれいごとではなくて、
本当の本当。
具体的に、すぐ今日にでもできること。
目に見えて、
自分が変わって行くよ。本当だよ。
自分さえ見方を変えれば、
どんな傷も、傷ではなくなる。
ひどいことをされた記憶も、書き換えられる。
ただの馬鹿だったころの私の、
間違った暴走、とでも書き換えられる。
悲劇のヒロインは、喜劇のヒロインになるかもしれない。
それくらいに。
自分の気の持ちようで、
恋なんて、なんとでも筋書きは変わるんだよ。
被害者意識は危険です。
何かを被った、といつまでも自分の受けた傷を見直しているのは不幸です。
それがちょっと見方を変えれば、
「もっとひどい結末を事前に食い止められたラッキーな事例」に変わることだってある。
しょせん、運命の相手ではなかった人に、
去って行かれただけ。
それは必然。
それによって私の本質はなんら
傷つけられたりしない。
人は、
恋なんかに殺されない。
だからね、
恋のトラウマを抱えている人。
まずは、自分と向き合う時間をちゃんと物理的にもつくって。
(漠然とじゃダメだよ。新しい恋しながらもダメだよ)
一度自分を解放して、
トラウマを乗り越える努力をしよう。
それは、いつかトラウマではなくなるから。
その時初めて、
新しい人に出会い、その人のよさに触れ、
本当の意味で、
相手を受け入れ、愛することができるんだよ。
そして、その日は、
誰にでもきっと、来るから。