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誰かと比べない人生の補足

皆様、こんにちは。
先日上げた記事にたくさんのコメントありがとうございます。

それで、コメントやメッセージを拝見していて、
自分でも少し、自分の書き方が誤解を受けるものだったのかな?と思ったので、
今日は少し補足します。

私が前回の記事で言いたかったことは、
別に、「子どもを産めば自分を認められて他人との比較から解放されるよ」ってことでは
ぜーんぜん!ないです。

ホント、そこ間違わないでもらいたいですし、
そう読めるように書いた私の文章力の問題ですんで、
最初に謝ります。ごめんね。(;´Д`)

正直言って、他人と比べる人生を歩むと、
結婚しても子供を産んでも、どこまでも他人との比較がついて回ります。

むしろ、結婚出産専業主婦のルートの人こそが、他人との比較人生
まっしぐらになる確率が高いと言っても過言ではない!
だから、全然、子供ができなきゃ他人との比較から抜けられない!
なんて思う必要ないし、
そこ、うらやましがって卑屈になるんじゃ、
私の言いたいことと真逆ですからね!!!!お願いしますよ。

どうか、私の言いたいことのほんの少しでいいから汲んでみようと思ってもらえませんか?
だまされたと思って!(何)

私が他人をうらやむのではなく、自分の人生を生きようと思ったのは、今に
はじまったことではありませんし、
それに対するトライを重ねながらも、失敗し、
やっぱり落ち込むのを繰り返し、
ある時はセドナメソッドの聖地セドナまで行って
自己変革をしようともがいてたことは、長い読者の皆さんならご存知のことと思います。

そして、他人をうらやんで卑屈になることが
自分には何もいいことを及ぼさないと気づいたのは、
結婚相手と出会うよりずっと前の、
まだ独身で、彼氏と別れてぼんやりしてた40代目前のことです。

私が最終的に本当に解脱できたかどうかも定かではないですし、
この先どうなるかもわからんのですが、
ただ、私の長きにわたる苦悩と、自分との闘いの日々は、
誰よりも私が知っています。

私は、自己肯定感を子供のころに植え付けてもらえた幸運な側の子供では
なかったようですし。
私は長い間、自分の劣等感に苦しみ、
なぜその劣等感が生まれるのかを考え、
本を読み、時には大枚はたいてセラピーにも通い、
そして全部無駄でがっかりし、(笑)
地の底まで落ち込んで、うじうじし、
時には全速力で逃避して、自分を守ることだけを大事に、
生きてきました。

恋愛において、それがどれだけマイナスに働くかも
分かってたけど、どうしても、
自分にこびりついた思考のパターンは、
なかなか剥がれてくれなかった。
でも、そんな私が、
なんやかやで自分と向き合って、
結局はいろいろな執着を断ち切り、
過去を忘れて、自分を取り戻し、
自分だけの幸せを見つけようと前を向けたのは、
ただただ、
私があきらめない性分だったからだと思います。

私は軟弱なたちで、
何かダメになると、すぐ逃げだしたくなるんですね。(;´Д`)
でも、逃げてからまた思い返す。
どうして私は逃げようとするんだろう。
私が耐えられないこのプライドの崩壊は何を意味するんだろう?
そして、もういっぺん恐る恐るトライする。
別の角度から。
何か方法を変えて。
その、しつこいくらいにあきらめない性格だったから、
こんなに軟弱でも、進むべき道を見つけることができた。
それを最近では少し誇りに思うんです。

私には特別な才能は何もない。
人格的に優れてもいない。
一般的な事務処理能力も人より低い。

でも、あきらめない、考え続けることだけは、
もしかしたらほかの人にはない能力なんではないかと。

それは仕事に関してもそうですし、
人間関係、恋愛に関してもそうです。

こんだけモテなくてうまく行かないことが何十年も続いて、
まだ「私にはまだ運命の人がいるはず!」って信じてたのって、
ただたんにあきらめない性格だからとしか言いようがないです(爆)

でね、私が前回のエントリーで言いたかったのは、

どんなに自分に自信がなくて、
他人と比較して苦しんでいる人も、
努力する方向さえ合っていれば、
考え方を鍛え直せば、
いつかその悩みから、苦しみから
抜け出ることもあるかもよ、ということなんです。

そりゃ、ものすごく深いトラウマがそう簡単に治るとか
私は思いません。

でもアドラーの本を読んでて、
すごいなって思ったのは、
過去を、過去に受けた傷を、
誰よりも忘れず大事にして、何度も掘り返して自分を傷つけ続けているのは、
その場所から動こうとしないで頑固に守り続けているのは、
自分自身なんだと。

そこから自分は変われない!と宣言し、
だから自分は幸せになれないんだと意地を張ることは、
ただ本当の「幸せ」(というものがあるのだとしたら)から自分で逃げているだけなんだと。
今のままの自分でい続けて、
自分がダメな理由を親だの教育環境のせいにして、
「だから私は救われない」「変われないんだからしょうがない」と言うのは、
本当に自力で這い上がり、ものすごい逡巡の末幸せをつかんだ人から見たらただの怠慢
なのだと。

そういうことを指摘されたからなんです。
私は、自分自身が、他人をうらやんでいた時を思い起こし、
確かにそうだなと思うんです。

自分には才能も、チャンスもなかった。
だから今のようにくすぶっているのは仕方ない。
自分はあの人のように、助けてくれる人もいなかった。
不運だった。
そんな風に思って、自分を慰め、
自分がそのままでいることを自分に許していた。
でもその間、私がうらやむ「誰か」は、私の知らない場所で、
血のにじむような努力をし、時間を使い、
そしていろいろなものを犠牲にしてまで、その地位をつかんだんだ。
私はただ何もせずに、文句を言ってただけ。

自分はダメだと言い張ることで、そこに居続けることが、楽だったから。

恋愛もそうです。
「私の理想とする人には私は選ばれない」「なぜなら私は仕事人間で女らしくもなくかわいげもないから」
「男に敬遠されるんだ。そんな男はこちらも願い下げ」
なんて言いながら、自分は何ひとつ歩み寄ろうともしなかった。

そんな人間に誰かが近づいて来るわけないのにね。
私がそんな風に言ってたのはすべてプライドが邪魔したせい。
人と比べてどんな人生を送っているか、
他人から見た自分ばかり気にして、
自分の体面を守ることばかり、そればかり考えてた。
そんな私が、うまく行くわけないよね。

私がいま結婚も出産もして、だから幸せなんだと思って、
私の言葉が頭に入らないのだとしたら、それこそまさに、
表面的な条件だけに心を奪われている証拠です。

そういう人は、私が独身で、彼氏と別れても、恋愛部長として記事を書き続けていた時に、
「彼氏もいない独身30代後半の女を教祖とあがめるなんてみんな大丈夫?」って
コメントを書いて来た人といっしょです。
そういう発想、ものの見方が、私から見ると、不幸の始まりなんだよ。

結婚しようがしまいが、子供を産もうが産むまいが、
私は私で、ものの考え方はつながっています。何も齟齬はないのです。
ただより研ぎ澄まされ、物事がシンプルに見えてきているのは確かです。
それは、自分がずっと信じて考えて、軌道修正して来たその先に、今の私がいるからです。

コメントで書いてくださった方のおっしゃる通り、
結婚しても子どもを産んでも、女性にはいつまでも他社との比較による苦しみが
付いて回ります。
夫の年収で比較し、子供の出来で比較し、子供の学歴で比較し。
他人との比較で自分をひがむくせがついている人は、
結婚しようが子供を何人生もうが、たとえ旦那が億万長者だろうが、
満足することはないんでしょう。だって上には上がいますしね。
私は、そういう人生を、「消耗する人生」だと言いたいのです。

私が思う幸福な人生とは、
他人と比べないで、今持っている幸福を感謝し、大事にできる人生のことです。
もしも子どもがいなくても、結婚してなくても、同じです。嘘だと思うなら、
私が独身時代に書いてたブログも読んでみてください。
たとえばこれ!→「幸せの天井」

これ書いたのは2010年。今でも忘れません。
海外留学してから考えが変わって結婚する予定だった彼氏とお別れし、
恋愛部長続けるかも迷ったけど、書きたいことがあるからと
書き続けてた頃。
自分に対して言い聞かせるように、書いた記事です。

あのころから私の考えに変化はない。
ただどんどんその考えは強化され、より確信に変わってるだけです。
そもそも、私は今の旦那との出会いの時に天啓のようにある日気づいたのは
当時ブログにも書いたとおり。
それまで私は、恋愛や結婚は、何か特別な変化を私にくれて、
次の日からまったくちがう光り輝く毎日が訪れるものだと思ってた。
でも、そんなんじゃない。
いまの自分の延長線上に、彼と一緒にいる自分がいる。
それがそれまでの私と変わらないことは、とても貴重なことなんじゃないか。
私は私のままでいられる。
それが、どんなに大事なことか。
私はある日それに気づいた。

そして、それまで私が追い求めていた恋愛対象が間違っていて、
その時出会ったばかりの彼が、その人だと気づいたんだ。
たぶん、私があの時自分の人生を自分で生きようと決めて、
自分で選ぶ人生を、その時の延長にある人生こそが素晴らしいんだと気づけなければ、
彼とは付き合うことも結婚することもなかったでしょう。

すべての幸福は、彼が連れてきたのではなく、
自分で選んだことです。

そうそう、もう一つ、
前回の記事で書き忘れたことがありました。
私はずっと子供のころから、(他の多くの子供と一緒で)
目標と結果を取り違えていました。

つまり、つねに目標が、「受験で成功すること」「いい大学に入ること」
「いい会社に就職すること」「誰々のような有名人に声をかけてもらって仕事をすること」
だったんですね。

でも、それって本来目標ではなくただの通過点、結果でしかないんです。

なのに、間違えているから、目標がかなうと、それで満足して足が止まる。
例えば、大学に入ることが目標だから、入ったあとは気が抜けて何もしない。
会社に入って達成できたから、そこからまたあらたな目標を設けて、
そこに到達できず苦しむ。

一番まずいのは、「有名人と仕事する」で、(笑)
有名人の目に留まり、声をかけてもらうことで目標は終了なわけです。
そこからがスタートなのに。
だからいつも、そこからビビって、足がすくんで、何もできないで終わってた。
失敗すれば、また自己嫌悪と、自己否定です。

恋愛も同じですね。
彼氏ができればそこで目標終了。
どうやってその彼の愛情を同じレベルでひきつけておけるか、
そこにハラハラして。
恋愛を失敗か成功かで判断してた。
「彼氏がいる自分」を維持したくて、愛情もないのに彼氏と付き合い続けたり。
結婚してくれるからと、自分の考えに合っていない人と結婚しようとしたり。
そういう人生は、やっぱり、とても表面的なものに左右されてたと思う。

私の人生は、とても遠回りで、とてもじゃないが、
皆さんがうらやむようなものではないです(;´Д`)

でもね。
私は私のいまの人生が、
過去の逡巡もひっくるめて
大好きなんです。
親から受けた呪縛。
自己肯定できなかった長い時間。
目標さえも他人との比較でしか考えられず、
本当に欲しいのかもわからないものを欲しがってきた。
その長い長い回り道が、
今の自分をつくる土台になっている。
そこから立ち上がり、決別するための
たくさんの試行錯誤と、天からもらったような気づきと、
自分との対話と、
そういう長い時間があるから、今こうして、ブログで何かを訴えられる。

いま昔の私のように苦しんでいる人に、
「わかるよ!っていうか、みんなそうだよ!」って言える。
そう簡単に抜けられるような沼ではないのも
分かってます。

だから、別に能天気に、
「発想を変えれば明日から別人になれるよ!さあレッツポジティブ!」とか
言う気もないです。

むしろ、大変ですよ、長くかかるかもしれないですよ、
と言っておきたいくらい。

でもね、何度も書くように、
その一歩を踏み出し始めた人は、
踏み出してない人の、何百倍も先を行っているんです。

いちばんダメなのは、
ダメなあなたではなくて、
ダメな自分を変わらないものとあきらめているあなたなんです。

前に、
どうやったら自分を対峙して抜けられるんでしょうか?とメッセージで聞かれたことがありました。答えたくてもうまく答えられませんでした。
何しろあれこれ本当にいろいろ試してみて、
どれが最終的に効いてたのか、分からないんですから。

でも、ひとつだけ、言いたいのは、
あきらめないことです。
きっと、親の呪縛も解けます。
そこから抜け出そうと気づくことができれば。
私の母は、70になった今でも、
もう亡くなった自分の母(私の祖母)が子供の時に自分に与えてくれなかった
精神的な恩恵のあれやこれやを、恨みに思っていると語ります。
70になっても!まだ自分の幼少期に受けた傷を
大事にしまっているのです。
それって、もはやすごいことです。
親から受けた傷にこだわるあまり、
それを大事に保管してしまうのです。
それは癒されることがないのでしょう。

でも私はそんな自分の母から受け取ったたくさんの細かい傷を、
今は自分の力で癒すことができることを知っています。
たくさんの他の大人を見て、
客観的に判断して、
自分が勝手に重く受け取った傷の多くは、
母の愛情の曲がった発露だったのだと冷静に理解できるようになったので。
そして、そういう風に母との過去から自分を切り離していけることに、
喜びを感じるのです。

母だって、悪気があってしたわけではない。
自分を愛したくてできなかっただけなのだと。
私だって、一歩間違えれば、
私の母と一緒の人生だったんだなと思います。
母の性格は私にそっくりです。(;´Д`)
今母を客観的に見ることができて、
どれだけ自分が母のことを気にして、
母に認められたくて生きてきたに気づきました。
そして、素直に、母の素晴らしかった部分にも気づけるようになったんです。
少しの反発もなく。

人生をのたうちまわりながら生きることに、
私は意味がないとは思わない。
苦しみにはきっと、いずれめぐってくる幸福をより深いものにするという意味がある。

そして、その幸福の深さは、
自分自身が、意識していればこそ気づくことができるのだと思います。

私は今自分が幸せであると胸を張って言えますが、
それは、結婚してるからとか子供がいるからだとは思わないでほしいのです。

自分が生きる道を自分で選んで、
その方向に向かって毎日できる限りのことをやろうと生きている、
そこにブレがないから、幸福なんです。
人生に、いらないものを知ったから。
他人に自分が幸せかを問わずにいられるようになったから。
欲しいものはたくさんある。
そりゃお金も欲しいですし、地位も名誉もあればうれしいでしょうね。
でも、そこは目標ではなく結果ですから。
そう思って、日々を楽しく、一生懸命生きて行こうと思うんです。

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