場つなぎ的に書いた前回のエントリーに、
思いがけずたくさんのコメントいただいちゃって、
あわわとあわてる小心者部長です、こんにちは。
たくさん応援メッセージありがとうございます。
なんだか嬉しいやらもったいないやら、も~、みんな大好き!!!!!とハグして回りたい気分です。
そういや昨日NYの友達(アメリカ人)から、
「お前は大丈夫だよ。だっていつも顔が笑ってるし」って言われた。
(;´Д`)
そりゃデフォで笑った顔ですけどね。私は。
まぁとにかく、
ちょっぴりぐずっては、やっぱり元気になろうって思う。
自分を助けてくれる人がこんなにいるんだって思って、
その一つ一つに感謝すると、笑顔が戻ってくる。
その繰り返しですね。
何かあると、自分が嫌いになったり、他人がうらやましくて妬ましくて、
もうやだ!!!!!!ってお布団かぶってふて寝したくなる。
もう誰も話しかけないで!私はこのまま根っこが生えるまで寝ちゃうんだからねっ!
私なんか私なんか、・・・・
引きこもりになってやるぅうううう!!!!
って感じ。
そう、前の日記書いた時、まさにもやもやして、
もがいてました。
でも、このままじゃだめだって思って這い出して、
女友達とわーっと騒いで飲んで、
仕事の話をして、わっはっは!と笑い転げてたら、
元気が戻ってきた。
また、一日一日を、自分に正直に、
一生懸命、丁寧に、
生きていこうと思えた。
(ありがとう友達!)
そうやって、私は回復できる。
落ち込んだ淵から、自分の力で這い上がることができる。
自分が、とてつもなく無価値なものに思える時もある。
でも、ある日また、
自分が、唯一無二で、貴重なものであると思える。
その行ったり来たり。
時に、落ち込んで周りを遮断したくなる、
うらやんでる自分を、地面に埋めたくなる時もある。
でも思った。
こんなに、胃が焦げるように、人をうらやむなら、
それは、自分が手に入れたいものだからだ、って。
ってことは、そういう周りの人が私の前に現れたりするのは、
逆に隠れた自分の欲求や願望に気づかせてくれるためかも!って。
でなければこんなに自分が情けなく思えたりしない。
情けないと思うと言うことは、新しい自分が見えている。
もっともっと努力して、
別の自分に変わることができる、
もっとなるべき姿が、なりたい姿があるんだってことでしょ。
可能性がないものを、人は羨んだりしないもの。
たとえば私は、ミスユニバースみたいな人とか、シロガネーゼとか
別になーーーーんにもうらやましくならないし、見てもなんともない。
その一方で
仕事しながら子育てしてる人とか、
仕事で注目されている人とかがうらやましい。
それは、自分がなれるかもしれなくて、
なりたいと切望していて、
でもまだなれてないから。
だからその差にイライラするんでしょ。
だとすれば、このイライラも、
胸がきゅうってなるほどの羨ましさも、
自分に対するいら立ちも、
全部、あるエネルギーなんだよね。
自分が、これから変わってくための、燃料なの。
ネガティブになることも、何か意味がある。
きっと、自分が心の中に抱いてる、何かしらの願望なんだ。
反発したくなる人も、
何か自分の中の変えたい部分を見せつけている人なんだ。
彼氏に放置されてイライラするなら、
それは自分が自分の時間を大事にしていないことを気づかせてくれてるんだ。
もっともっと、自分の時間を大事にして、
2人で次会ったときに、
もっともっと楽しい話をして、夢のある未来の話をして、
過去の会えなかった時間のことなんか忘れちゃえるくらい、
それくらい、自分の時間を大事にしてる?してないなら、今しようよ。
そういうことに気づかせてくれるために、今の困難があるのかもしれない。
誰かが何かをしてくれさえすれば自分だって変われるのに・・・と思っている間は、
何も変わらないし、変えてくれない。
他人は、所詮他人。
付き合ったら変わる?結婚したら変わる?子供ができたら変わる?
そんなの、期待していたって、なにも変わらないよ。
外からの変化を期待して待ってるだけの人には、
何も変化は訪れない。
たとえ付き合えたとしても、次は結婚。次は子供。次はマイホーム。次は・・・・
際限がない。
欲しがっても欲しがっても、満たされることはない。
前も書いたけどさ。
幸せってのは、誰かにしてもらうもんじゃないんだよ。
自分の力で、なるんだよ。
もちろん、支え合って行けるパートナーは大事。
その心の底から信じあえる、絶対的な味方を手に入れたときの、
万能感は素晴らしいものです。
でも、それは、自分が自分だけでも十分幸せである人にしか、得られないものだとも思う。
別に、無理して突っ張って、
「一人でも生きていけます、お気づかいなく!!!」みたいになれとはいわない。
そんなの私だってなりたくないです。(爆)
私は、ずっと一人でなんか生きていけません。
人一倍さびしがり屋だし、弱虫で、愛されたがりだし。
誰かいっしょに生きていける人探してます。
それは、だけど、誰かにすべてゆだねて、相手の人生に左右されることではないと思う。
相手を信じることは、
自分を信じないと出来ないこと。
「どうしたら相手を信じられますか」という質問がたまにあるけど、
信じられると自分が思えないような男に惚れなければいい。と思う。
自分が惚れた男だったら、その男の存在を、信じなさいよ。
友達に相談したらやめなって言われたからって、
ふらふらグラグラしちゃうくらいなら、
そもそも相手を選んだ、相手に選ばれた、自分自身をまず信じてないんだと思う。
自分の考えや、自分の生き方を。
好きな男を選ぶのは、
この先、自分がどういう風に生きていきたいかを選ぶこと。
自分が選ぶんです。
自分が決めるんです。
自分が責任とるんです。
相手任せにしたり、相手のせいにしたりして、
泣いたり騒いだり、お門違いだよ。
人は、自分の幸せを、自分の手で選ぶ権利がある。
相手にそんな大事なものを、任せちゃだめだよ。
そして願わくば、
大事な人が落ち込んだ時には、力になってあげたい。
誰よりも、あなたの力は私が分かってるんだからと、
無言で伝えられるような信頼感で、つながっていたい。
そういう一生に何度もないピンチの時のために、
あらゆる2人の間の出来事は、用意されてるんじゃないのかな。
そう考えれば、
よっしゃこれもひとつのがんばりどき!
自分が大きくなれるきっかけなのかも!と思えませんか。
誰だって落ち込むし不安になるし、さびしくて苦しくて、叫びたくなることはあるものです。
それはそれとして認めちゃえばいいのだ!と思う。
弱い自分を知るからこそ、
支えてくれる手をありがたいと思える。
羨ましいと思うから、
何が欲しいか分かる。
痛みを感じるから、
何に傷つくかが分かる。
ダメな時こそ、
次へ行くための、溜めなんだと思う。
もっともっと強く、
大きく飛ぶための。
ただ、まっすぐ、
前へ。